小説「宝生家の宝食なる日々 第4話 ふたりの翠玉(エメラルド) スタート
第4話 ふたりの翠玉(エメラルド)スタートです。
ふたりの翠玉(エメラルド)
写真は、阪急曽根駅近く「MAHOT coffee」
ウングウング、プハー。やっぱ、秋は秋味のビールに限る、そう思いつつ麗子は秋限定のビールをひとりキッチンで飲んでいる。
ガシャ、と勢いよくマンションの玄関ドアーを開けると、ドカドカと勢いよく娘のヒカルがキッチンに入ってきた。
「ママ、ママー、知ってる~、マホットさんにコーヒー焙煎機が置いてあったわよ」と興奮気味に早口でヒカルが甲高い声で麗子に言った。
「何いまさらそんなこと言ってんの。とっくのとうちゃん、パパから聞いているわよ。いくつになっても、騒々しいわね、あんたは」
「あら~、ごめんあそばせ、騒々しくておっちょこちょいなのは、ママゆずり」
ヒカルは、なんだよ、せっかく新情報を教えてあげようと、足早に帰ってきたのに、とそうとうおかんむりになった。
「コーヒー好きのパパが知らないわけないし、10月3日のマホットさんのリニューアルオープンにさっそく行って来たらしいわよ」
と、麗子はお気に入りの陶器のビールグラスに秋味ビールを注ぎいれた。
「だよね~」
ヒカルもしごく納得した様子。
「ところで、今度、パパと一緒に東京にエメラルドを仕入れにいくんだってー。久しぶりの東京ね。せいぜい楽しんできてね」
とちょっぴり皮肉まじりにそう言った。
「なに言ってんのよ、ママは。お仕事、お仕事」
とヒカルは言いながら、エメラルドの仕入れに興味津々だ。
「さっ、パパは、今晩は、仕事の打ち合わせで遅くなるって言ってたから、二人で晩御飯食べましょ」
麗子は、ビールを飲むのをやめて、夕飯の支度をし始めた。
第3話 終わり。
仁は、ハート&キューピッドのダイヤモンドがどちらかと言えば、好きではない。仁は、ブライダルに使用するダイヤモンドであれば、カラースケールで言うと、F-Gアップ、クラリティーならVSクラスアップ、カットグレードは、「very good」で十分で、なにも「excellent」にこだわる必要はないと考えている。
エクセレントカットグレードのテーブルが狭いダイヤモンドは、少し斜めから見たときに、まれにガードルがクラウン部分に見えるものがある。いわゆるフィッシュアイである。この場合は、「斜めフィッシュアイ」というべきか。テーブルが狭いダイヤモンドは、フェイスアップから見てダイヤモンド全体が狭隘な印象を受けてしまう。テーブルパーセントに限っていうならば、58〜62%程度の大きさでベリーグッドカットグレード、シンメトリーがよく、クラウンとパビリオンのバランスのとれたダイヤモンドを仁は好む。
だいたい、フェイスアップだけでそのダイヤモンドのカットの良し悪しを判断していいものだろうか。普通、ダイヤモンドエンゲージリングを自ら手にとって見たり、友人、知人がそのジュエリーをみる場合、斜め上からが見るのが基本ではないだろうか。
はっきり言うと、あまりにもエクセレントにこだわるブライダルジュエリー専門店は、ダイヤモンドに関して深い知識、評価する技量が乏しく、そのグレードをダイヤモンドレポートだけに頼っていると仁は思っている。
仁の友人たちは、おもにGIAの卒業生である。ダイヤモンドの海外買い付けバイヤーや以前そうだった連中が多いので、彼らも仁の考えに同感し、エクセレント偏重のブライダルダイヤモンド販売に憤懣やるかたない思いをよせている。
一方、海外に視点を転じてみると、インドやイスラエルのダイヤモンドカット会社大手が、デビアスの販売戦略が変更したこと(SOC サプライヤーズ オブ チョイス)に伴い、ぞくぞくと日本に支店や事務所を開設している。それで日本のバイヤーたちはわざわざダイヤモンドを海外に買い付ける必要がなくなってしまっている。しかも、ソーティング付きのダイヤモンドばかりが流通しているので、ルースのダイヤモンドをルーペで見る機会が減っているのが現状だ。
数少ない現役ダイヤモンドバイヤーの友人に仁が聞いたところによると、ベルギーでもソーティング付きダイヤモンドの取引が増えているらしい。
つづく。
確かに、ハートとアローが見えることは、そのダイヤモンドのひとつの個性である。
ダイヤモンドの販売は、4C +P。Pは、personality。respect each diamond ’s personality ひとつひとつのダイヤモンドの個性を語れてこそプロ。
仁は、ダイヤモンドの販売に関してそう考えてこれまで実践してきたし、ジェムクラフトのメンバーにもそう指導してきた。しかし、ある時期、日本のブライダルダイヤモンドのほとんどと言っていいほどハートとアローが見えるダイヤモンドになってしまっていた。もちろん、海外ブランドジュエリーショップではそういうことはなかった。
海外ダイヤモンドディーラーたちは、日本のバイヤーがハートやアローが見えるエクセレントカットしか買わなくなってしまった日本の特異性に対し驚きを隠せなかった。日本のバブル崩壊後、安価なダイヤモンドしか売れないという百貨店、チェーン店側の意向に沿い、SI-Iクラスのロークラリティーのダイヤモンドばかりを買っていたのに、今度はVS-Hup、Excellentばかりを買っていくからである。極端から極端に振り子が大きくふれるがごとく購入するダイヤモンドの品質が変わってしまっていた。
ちなみに、「ハート&アロー」は、社団法人日本ジュエリー協会発行「ジュエリー用語事典」によると
「ブリリアント・カットのダイヤモンドのパビリオン側から見えるハートマークとテーブル側から見えるアローマーク。プロモーションとシンメトリーの優れたカットに見える。ハート・アンド・アローは商法登録となっているので、一般にはハート・アンド・キューピッド(H&C)と表示される」とある。
トリプルエクセレント(カットの総合評価、ポリッシュ、シンメトリー共にエクセレント)であってもハートとアローが全て見えるわけではないわけで、それが問題であり、消費者に対する混乱を招くことを誘発する。
そこで、トリプルエクセレントでしかもハートとアローが見えるブリリアントカットのダイヤモンドが4C評価のカットで最高なんだと主張し、それだけを扱うダイヤモンドディーラーが現れるに至るのだ。
そもそもダイヤモンドの重量を表す、carat以外は、グレイダーの評価次第でワングレード違ってくるボーダーのダイヤモンドがある。カラーは、マスターストーンとの比較でグレイダーが目視で決めるものであり、クラリティーも内包物の内容、大きさ、位置によって評価が違ってくる。
カットにしてもシンメトリーやガードル厚さなどの減点対象にグレイダーの意見が割れる場合がある。ただ、近年、GIAのコンピューター評価システムが確立しているので、そのシステムを導入している鑑別・鑑定機関であれば、評価のばらつきは、ほとんどないはずだ。
長年ダイヤモンドに関わってきた、仁や透にとって、ダイヤモンドの反射面でハートやアローが見えたからといって、「それがどやねん」と思うところだ。
シンメトリーがよく、トルコウスキーの理想的カットに近く、ある一定のバランスであれば、ハートとアローが見えるブリリアントカットダイヤモンドになる。
販売プロモーションのひとつとしては「おもしろい」手法かもしれない。
続く。
写真は、ダイヤモンドの反射面でハートとアロー(矢)の形が見える簡易スコープ
理恵は、仁から「ハートとアロー(矢)が見えるスコープ」をもらった。
「もう使うこともないやろから、理恵ちゃんにあげるわ。お客さんとの話しのネタのひとつになるやろ」
使い方も仁から教わっている。ストローを小さく短く切り、その上にダイヤモンドをフェイスダウン、フェイスアップの状態で乗っける。その上からスコープを被せて上部の丸い窓から覗くのだ。若干の工夫はいるが、青いフィルムに反射してエクセレントカットと一部のベリーグッドのラウンドブリリアントカットのダイヤモンドが角ばったハートとアローが見える。
b-jewelry.net から引用
続く。
理恵は、仁が買ってきたケーキを冷蔵庫から出した。
曽根南町にある「パティスリー JM ムーラン」のサヴァラン。理恵は、今日は、一人で自主的に残業している。今日やるべきダイヤモンドメレーのアソートが閉店時間になってもまだ残っていた。
今日できる仕事は、今日済ませる。それが、理恵のモットーだ。明日は、突発的に何があるか分からない。
理恵は、自分でコーヒーを淹れ、サヴァランを口にした。仁は、理恵がサヴァランが好きなことを知っていて、ムーランで買ってきてくれている。仁は、ジェムクラフトのメンバー全ての好みを把握していて、それぞれにケーキを買ってくるのが常だ。
サヴァラン特有の洋酒の香りが疲れた体に沁み渡るようだ。ただ、ここのサヴァランは、口にした後、ツーンとした鼻につくアルコールが残らずスッキリしている。理恵は、コーヒーとサヴァランに染み込んだ洋酒のせいでほのかに体があたたまり、リラックスしてきた。
そして、仁と透がダイヤモンドについて熱く語っている場面を思い起こしている。
続く。
理恵は、豊中、いや大阪北摂地区のマダムたちの口コミによって評判の存在になっている。理恵は、和歌山県紀伊田辺で有力な網元の家の長女で、気の荒い漁師たちに囲まれて育ってきたので、男勝りのあっさりした性格になった。顔立ちが癒し系だが内面はしっかりしていて負けず嫌いときている。
両親は、幼いころから花嫁修行として、お花とお茶を習わせてきた。理恵は、いやいやながら習い事を続けてきたが、今となってはそれが活きている。毎週月曜日、お店のフロントにお花を生けているのは、彼女で、お客様の要望があれば、お抹茶を出している。
理恵は、もともと手先が器用で、美容部員としてお客様の細かいメイクをしてきている。ただ、ピンセットでミリ単位のダイヤモンドメレーや、色石の材料モノをピックアップするのには最初戸惑った。メレーを何度も弾いて飛ばしたことも何度もあった。最初は、誰でも経験することだ。
負けず嫌いの彼女は、自宅に帰ってから、お米の米粒をソーティングパットに広げて、ピンセットでつまむ練習をした。それに、ヒカルというお手本が身近にいたおかげで、めきめきアソートの腕をあげていった。
続く。
仁は、東京にいたころから、ジュエリー業界に携わる業界人の宝石を見る目の低下を嘆いていた。バブル時期、3兆円にも膨らんでいた業界規模は、今は約三分の一に減ってしまっている。低迷の原因は、いろいろ考えられるが、そのひとつが現場の販売員の知識、能力の低下だ。
浅見透がオーナーの「ジェムクラフト」は、工房ジュエリーだ。自店でデザイン、原型制作、石留め、最終仕上げをこなしている。浅見は、もちろんデザイナーでありグラフィック担当の佐々木真一、販売担当の北条理恵もルーペとピンセットでダイヤモンドや色石のアソートができる技量にある。
北条理恵は、東京で資生堂の美容部員(ビューティーコンサルタント)としてトップクラスの実績があり、仁の影響で「ジュエリーコーディネーター1級」の資格を取るまでになった。理恵にルーペとピンセットの使い方とアソートのイロハを教えたのが、仁の娘ヒカルだ。ヒカルの師匠が仁。
「専門店は、百店百様」が、仁の考え方だ。だから、全てのジュエリーショップの販売員がルーペとピンセットを自在に操れる技量が必要とは思っていない。ただ、「ジェムクラフト」は、ジュエリーの修理やリフォーム、オーダーメイドを行っているし、ショップオリジナルブランドを制作している。材料モノの色石やダイヤモンドメレーの在庫も多少ある。例え、販売が担当であってもピンセットでルースをスムーズにピックアップし、ルーペで品質を検品できれば、ベターだ。ショップスタッフは、4人しかいないし、シフトを組んで各自休みを取らなければいけない。ショップは、お客様の利便性を考えて、正月三ヶ日を除いて無休としている。
特に、資生堂で一流の美容部員だった理恵のご贔屓筋のお客様が気まぐれにお店に電話があり、ショップにご来店になる。健やかに美しく生きることは、女性なら誰しも願うこと。理恵は、お客様の化粧品や食生活の良きアドバイザーになっている。理恵は、芸能人で言えば「井川遥」似の嫌みのない癒し系の美人だ。ただ、身長が、156センチで小柄なほうで、もう少し背が高かったら、モデルとしても一流になれたかもしれない。しかし、同性からみれば、かえってそれが愛嬌になっているかもしれない。
理恵は、聞き上手なので、美容やファッション、ジュエリーなどの相談に収まらず、ご主人や子供など家庭内の悩みを打ち明けられることが多い。
続く。
画像は、Amazon.co.jp より転載
ストッパー付きピンセット
「ヒカル、川村さんのオーダーメイドのダイヤモンドエンゲージリングどうだった?」
仁は、ノンアルコールビールをグラスに注ぎながら、ヒカルに聞いた。
「パパ、ちゃんと決まったわよ。使用するダイヤモンドルースとサイドストーンのダイヤモンドメレーも見てもらった」ヒカルは、マカロンを美味しそうに食べている。
「パパが普段から言っているように、ダイヤモンドをルーペでご覧になられますか?と聞いて、興味を示したら、ストッパー付きピンセットでダイヤモンドをセットして、10倍の宝飾用ルーペでダイヤモンドの見方を教えてる。カップルでご来店の場合、大抵フィアンセのほうが、見たい、見たい、と積極的ね。ダイヤモンドメレーは、チンボックス(宝石用ルースボックス)にきれいに並べて、裸眼とルーペで見てもらっている」
仁は、うなずきながら、少し噛んだエビチリをビールで流し込むように食べている。妻の麗子にいつも怒られるのだが、早食いのくせは学生時代から変えることができないでいる。
「お客様の反応は、上々よね。やっぱ、ルーペでダイヤモンドやメレーを見せてくれる宝石店って、あんまりないみたい」ヒカルは、今日は、ダージリンティーとともにマカロンを食べている。
「だいたい、販売する側がピンセットとルーペをまともに扱えないようでは、そいいうことは到底できっこないからな」
続く。
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