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潮風にふかれ 〜マリンピア神戸










久しぶりに、マリンピア神戸に。マリンピア神戸は、アウトレットモールですが、買い物目的ではなくて、ただ海岸べりの遊歩道を潮風にふかれながらゆるゆると散歩。疲れれば、ベンチに座り込み休憩。

平日でしかも朝早くから散歩するひとは少なく静けさを満喫できます。ときおり小さな船のエンジン音が聞こえるのみ。

マリンピア神戸にある「LOCHE」で石窯生ハム、ルッコラピザのランチを食べ、帰宅の途に。のんびりした休日を過ごしリフレッシュできました。

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柚子味噌冷ややっこ




冷蔵庫を覗いていて、ひらめいた?のがこの一品。

冷蔵庫にあった「つけてみそかけてみそ」を絹ごし豆腐にかけ、そこに柚子ママレードをひとさじ。さらに、かつお節を少々。

柚子ママレードがいい仕事しています。なんでもない冷ややっこがちょっとした料亭の味になってます。自画自賛、言い過ぎかも。

サントリーの「オールフリー」とともに。

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豊中市原田中「chocolate branch」の柚子割れチョコレート




Facebookで新発売のお知らせがあり、休日の今日、さっそくお店へ。

最近、取り寄せで「ゆずママレード」を買ったばかりで、なぜか柚子が気になる私。

柚子の酸味と淡い苦味がお気に入り。

「chocolate branch(チョコレート ブランチ)」の柚子チョコレート。ちょっとビターなチョコレートにトッピングされた柚子が口のなかで溶けて一体となり、酸味、甘み、苦味が広がります。

柚子は、普段ほんの添え物として、おろし金で皮を削る程度の存在ですが、こうしていただくと本当に美味しいくだものです。

合わせて、果実のピューレをゼリーにした「パート・ドゥ・フリュイ」を購入。こちらは、果実の酸味がストレートに味わえる本格派のゼリーでした。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-15)仁と透とダイヤモンド

デビアス社の歴史とダイヤモンド産業について、ブログ「宝石月夜ばなし」過去ログからの転載の最後。

ここで、ひとつお断り。業者間で「0.08以下」のダイヤモンド、これまで社団法人日本ジュエリー協会の表記に準じて「メレ・ダイヤモンド」と書いてきた。しかし、我々の年代は、「メレー」と伸ばして発音するのが通例。多分、「melee」は、フランス語由来だからか。今まで違和感を感じつつ書いてきた。

すでにお気づきの方もいるかもしれないが、このところ「メレー」と表記している。

「ダイヤモンド」「ダイアモンド」どちらで書くべきか、とよく似た問題だが、途中から変えることにご容赦願いたい。

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デビアス社の歴史とダイヤモンド産業(3)
2010/02/16
ダイヤモンド市場を独占してきたデビアスに変化があらわれます。

2000年、デビアス、DTCは、サプライヤー・オブ・チョイス(SOC)戦略を発表し、その後その政策を実践してきました。

サイトホルダーを見直し、2005年6月には、新たに11社(団体)が文字通りチョイスされ、7月には、DTCによる「付加価値サービス」(VAS)が適用されました。新たに選ばれたサイトホルダーの会社には、インド、南アフリカの会社が多く含まれています。スモールサイズの研磨をインドで、ラージサイズの研磨を南アでといったDTCの戦略が見てとれます。

デビアスはかつては、南アフリカのヨハネスブルグ市場やロンドン市場などに上場していましたが、2001年に上場廃止。南アフリカの大富豪であるオッペンハイマー一族が、彼らの所有するアングロアメリカン社と共に株式の8割以上を取得し、事実上私有化したためです。

デビアスは、小売業態にも積極的に進出します。

LVMHとの合弁事業であるデビアスLV店は、ロンドンに1号店を開店。その後、日本で百貨店のインショップ展開。米国では、ニューヨーク五番街店に続き、2005年には、ビバリーヒルズ店を開店しています。


デビアスは、経済成長が著しい中国にも出店しようとしています。2010年2月11日、ブルームバーグが以下のように発表しました。「ダイヤモンド生産で世界最大手のデビアスは、ダイヤ小売り事業の中国戦略を真剣に検討しており、同国に複数の店舗を開設する可能性がある。同社マネジングディレクターのガレス・ペニー氏が南アフリカ共和国ヨハネスブルクの702トークラジオとのインタビューで述べた」。

今は、デビアスと言えば、ダイヤモンドそのもののブランドであったり、ダイヤモンドジュエリーのブランンドとしてユーザーに認知されるようマーケティング戦略が展開されています。トリロジーという3個のダイヤモンドを使ったダイヤモンドジュエリーは、DTCの登録商標で、販売できるショップは限定されています。DTCに認定を受けていない専門店では、トリロジーというブランド名を使用することはできません。フォーエバーマークも同様です。

販売戦略の変更(SOC~サプライヤー・オブ・チョイス)により、今は「DTC」がタイアップしている大手ナショナルチェーンや専門店の販売促進のバックアップをしています。

デビアスDTCのSOC戦略、デビアスブランドの小売、鉱山開発や研磨地域の特性化は全て新しいネットワークの構築へのチャレンジだと思います。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-14)仁と透とダイヤモンド

デビアス社の歴史とダイヤモンド産業(2)
2010/02/14
以下、2004年末にまとめたものです。少し古い話しが入っていますが、ご辛抱を。

南アフリカのビジネス・デイ・オンラインが2004年10月21日、デビアス社長ゲーリー・ラルフ氏とのインタビューで今期のデビアスの業績を明らかにしました。
「ダイヤモンド・ジュエリー売上高が記録的な数字となり、デビアスは昨年の売上高をオーバーすると予測している。これは、中国とインドで販売が好調で世界的にも大幅に売上が伸び、最高の年になるだろう。」とコメントしています。

しかし、ボツワナでのストライキの影響で原石生産は半期の目標を若干下回っています。今期の生産目標より2~3%少なくなるものの、実質生産量は、昨年対比より多くなる見込みです。

「デビアスは、ロシアとの関係をより密接にすることにより、新しい生産地の開拓に努力するとともに、南アフリカ、アンゴラ、コンゴ民主共和国、カナダでの探鉱活動を進める」とゲリー・ラルフは付け加えています。

ドル安、中東情勢の不安定、原油高などの世界情勢の状況など、デビアス及びダイヤモンド業界を取り巻く環境の変化にも注目していく必要があります。

さて、セシル・ローズ氏によって設立された、デビアスは、オッペンハイマー氏に引き継がれていきます。オッペンハイマー氏が確立したデビアス機構の仕組みとは、一体どのようなものであったのか述べることにしましょう。

1.デビアスの機構の主要三部門

デビアスは、基本的に次の三つの部門で成り立っています。
1)ダイヤモンド・プロジューサーズ・アソシエーション(Diamond Producers Assosiation)
DPAは、生産者連合を形成し、生産調整を行いました。

2)ダイヤモンド・トレーディング・カンパニー(Diamond Trading Company)
DTCは、その生産物を一括して買い上げ、分類作業を行います。

3)セントラル・セリング・オーガニゼーション(Central Selling Organization)
CSOは、分類されたダイヤモンドを一手に販売します。

このシステムにより、生産調整を行い、その生産実績に応じた価格を決定し、販売で得た利益をプールすることにより、生産調整に不可欠な資金を得るという仕組みを確立しました。

2.デビアスの機構の全容

1)アングロ・アメリカン・インベストメント・トラスト(Anglo-American Investment Trust Ltd.)
この資本家トラストは、生産者側のデビアス合同鉱山会社をはじめ、販売会社側のDTCに至るまで、直接、間接に投資することにより、世界のダイヤモンド市場を統括しています。

2)デビアス合同鉱山会社(De Beers Consolidated Mines Ltd.)
自ら採掘を行う他、その子会社、生産組合、その他の会社との契約により、殆ど全てを統括している中枢会社です。

3)ダイヤモンド・コーポレーション(The Diamond Corporation Ltd.)
デビアス合同鉱山会社の全額出資の会社で、非組合との斡旋、買い取り、契約によって各国から産出されるダイヤモンドを引き受ける会社です。

4)ダイヤモンド生産者組合(The Diamond Producers Association)
デビアス合同鉱山会社やダイヤモンド・コーポレーションが一丸となって、ダイヤモンド生産者組合を構成し、原石の統制を行っています。

5)ダイヤモンド・トレーディング・カンパニー(The Diamond Trading Company Ltd.)
生産者組合から宝石用のダイヤモンドを引き受け、世界の大小業者に販売します。

6)工業用ダイヤモンド配給会社(Industrial Distributors Ltd.)
生産者組合から工業用ダイヤモンドを引き受け、世界の大小業者に販売します。

3.サイトによる販売

ダイヤモンド原石は、CSOが行う「サイト」によって販売されます。このサイトに参加できる資格をもつ業者を「サイトホルダー」と言います。サイトホルダーは事前にCSOに自社の要求をダイヤモンドの種類別に提出しますが、それはあくまで買い手側の要望であって、その要求が満たされると決まったわけではありません。

各サイトホルダーは、CSOからダイヤモンド原石の入ったパーセル(袋)を受け取り、その中身を確認した後、買うか、買わないかを判断します。そのパーセルの中のダイヤモンドを選別し、自分の気に入ったものだけを買うことは許されません。勿論、気に入らなければ、買うことを拒否することは出来ますが、次のサイトには呼ばれないことがあり得ますので、殆ど買うことになってしまいます。業者にとってデビアスから原石の供給がストップすることはまさに会社の死活問題になります。

このように、デビアス社は、鉱山からの原石を独占し、サイトという巧妙な販売スタイルを確立することにより、ダイヤモンドの流通と価格を自在にコントロールすることに成功するわけです。

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「凡」のゆずママレード




「企業組合ワーカーズ・コレクティブ凡」のゆずママレードを取り寄せてみました。

そのまま、パンに塗る、お湯で溶かしてゆず茶として、味噌に混ぜてゆず味噌にする、というキャッチコピーにつられて購入。

だいたい、ゆずでママレードを作るには、仕込みが大変なので、買ったほうが得策かなという思いもありました。

実際、パンのジャムとして、ゆず茶としていただきましたが、ゆず特有の酸味とほのかな苦味があって、美味しくいただいてます。

まだ、ゆず味噌にしていませんので、白味噌に混ぜて田楽で食べようと思っています。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-13)仁と透とダイヤモンド

では、デビアスについて。

尚、ブログ「宝石月夜ばなし」への投稿は、下記の通り2010/02/13 。主な参考文献は、残念ながら今現在不明。

デビアス社の歴史とダイヤモンド産業(1)
2010/02/13
昨年末、「絆story」というコンセプトのもとフォーエバーマーク エンコルディア コレクションを発表したデビアス。

「愛の誓いとして、信頼で結ばれた友情の証として、そして、数多くの人との絆に支えられて仕事を頑張ってきた自分のご褒美として」エンコルディア コレクションは、いかが、と謳っています。

そこで、まず、デビアスを知るために、「デビアスの歴史とダイヤモンド産業」について簡単にまとめたものをお読みください。


1.ダイヤモンド産業の黎明

古代、唯一のダイヤモンドの産地はインドでした。川の流域などで見られる漂砂鉱床は、ダイヤモンドを含む源岩が風化、浸食され、川の流れに運ばれて堆積したものです。ダイヤモンドの比重が重いため、川の流れの途中で川底の砂礫層の中に堆積します。ものによっては、海岸の砂礫層や沿岸の海底に堆積します。当時、ほとんどが人海戦術による採鉱にすぎませんでした。

ちなみに、ダイヤモンドの母岩であるキンバーライトやランプロアイトは地下100m~1kmでパイプ状に鉱床を形成しています。このようなパイプ鉱床の現場では、近代的な大規模な施設を建設し採掘しています。キンバーライトやランプライトに占めるダイヤモンドの含有率は濃密で巨額の投資に見合うからです。

さて、1730年代になって、ブラジルが産地として登場します。ブラジル産のダイヤモンドは、それまで細々と産出していたインドに比較して膨大な量がありました。これが契機になって、ダイヤモンド加工工場がアムステルダムやアントワープに始めて設立されます。家内工業から産業への黎明になります。これらの貿易、加工、販売の全てがユダヤ人の手によってなされていました。

しかし、ブラジル産ダイヤモンドは、1860年代には枯渇し始めます。そのとき、南アフリカで新しい大鉱脈が発見されます。1899年から1902年にかけて起きたボーア戦争は、ボーア人が支配する共和国での黒人開放と、英国系外国人居住者の地位確保が主な理由とされていますが、英国の真の目的は、南アフリカで発見されたキンバレーのダイヤモンド鉱山とトランスバールの金を経済的に支配することであったとも言われています。

アフリカ南部のダイヤモンドの埋蔵量は、膨大で、1870年代にわずか10万カラットであったものが、1913年には600万カラットになりました。しかし、このような過剰生産は、ダイヤモンドの価格を非常に不安定にしました。

2.セシル・ローズのデビアス社
セシル・ローズは、ユダヤ系の資本であるロスチャイルドの後ろ盾で、デビアス鉱山会社(De Beers Consolidated Mines)を設立し、1988年にキンバリー鉱山を合併します。その後、ウェッセルトン(Wesselton)、ヤーガースフオンテイン(Jagersfontein)などの鉱山群を買収し、19世紀末にが当時の生産地の9割を支配するようになります。

しかし、セシル・ローズが死去した1902年には、プレミア鉱山が発見され、ナミビアの巨大な漂砂鉱床が発見され、デビアス社の支配は低下していきます。

3.オッペンハイマーの独占

ドイツ系ユダヤ人のオッペンハイマーは、1917年、金生産のアングロ・アメリカン社を設立し、その後、コンソリデイテッド・ダイヤモンド・マインズ社(CDM)を設立し、ダイヤモンド業界に進出しました。そして、1926年のデビアス社の役員になり、1930年にはデビアス社の会長になります。このオッペンハオマーにより、ダイヤモンド生産業者を支配する機構が創り上げられることになります。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-12)仁と透とダイヤモンド

「2000年に、デビアス、DTCがサプライヤー・オブ・チョイス(SOC)戦略を発表して衝撃を受けたけど、この事案は、それぐらいのインパクトがある」
仁は、今回の発覚からダイヤモンド業界が大きく変わる可能性を感じている。合成ダイヤモンドがもし養殖真珠のように消費者に認知されるようになれば、メレーなどの材料モノのダイヤモンドは、天然から合成に切り替わるかもしれない。または、合成ダイヤモンドだけを使った安価なジュエリーが台頭するだろう。

ただ、天然ダイヤモンドの需要がまったくなくなることはなく、ユーザーの選択肢が広がることになる。

ダイヤモンド、金、プラチナなどの地下資源を採掘している資源メジャーは、コスト高になっていて採算ベースに乗らない鉱山は閉鎖の傾向にあり、もし天然ダイヤモンドの価格が低下し旨味がなくなれば、なおさらだ。

戦後の日本のジュエリー業界を牽引してきた一翼がデビアスだ。世界のダイヤモンドビジネスの近代化に道筋をつけたのもデビアスと言っていいだろう。

そこで、デビアスの歴史をひもといてみる。例によって、ブログ「宝石月夜ばなし」からの転載になる。

続く。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-11)仁と透とダイヤモンド




写真は、「カフェーパウリスタ」森のコーヒー。

仁は透の提案に同意し、関西学院大学のテニス同好会「KGローンテニスクラブ」に入会し、学業、アルバイト、テニスの三つをうまくこなしながら4年間を過ごしていく。

仁と透の再会はこんな感じだった。学生時代、コーヒーが苦手だった透は、今では「銀座カフェーパウリスタ」でコーヒーの挽き豆を購入するほどのコーヒー通になっている。

仁が阪急百貨店のパーラーと大食堂でアルバイトするようになり、パーラーのマスター小阪課長からコーヒーの淹れ方を伝授され、仁のコーヒーへのこだわり、探究心に火がついた。

仁は、アルバイトで稼いだお金で、コーヒー専門店で手動のコーヒーミルを購入。自宅でストレートコーヒー豆を100グラムずつ買ってきては、自分でブレンドコーヒーを作りだした。仁は、自分だけの判断だと頼りないので、透を自宅に招き、透の意見を聞くことにした。

透は、最初はいやいや付き合っていたが、次第にコーヒーの複雑な味わいを知ることになりコーヒー好きに変貌してゆく。

ただ、台所でガリガリコーヒーを挽く音がうるさいと宝生家の特に母と姉に不評だった。しかし、父親の正がコーヒー好きだったので救われた。

「まあ、ええやないか、コーヒーぐらい」ということで、宝生家の女性陣を黙らせてくれた。

今、浅見透が経営する「ジェムクラフト」のキッチンで仁が淹れたコーヒーを透はスタッフとともに飲んでいる。

「6年ぐらい前に、ジンが心配していたことが現実になったな」
透は、合成ダイヤモンド、特に天然メレーダイヤモンドのロットに合成ダイヤモンドが混入するようになったことを深刻に受け止めている。

続く。

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豊中市曽根 MAHOT(マホット)のかき氷










自宅近くにある、オープンカフェ「MAHOT(マホット)」で夏メニュー「かき氷」が販売されてます。

よく喫茶店の夏メニューとして登場する「フラッペ」。ちょっと粗めに削った氷にパッションフルーツがトッピングしてあります。

そういう俗に言うフラッペと違って、マホットのかき氷は、キメが細かい氷でふんわりしていて口どけが本当になめらか。製氷機は業務用の本格マシーン。使用していている「氷」も取り寄せしている。

私がオーダーした「日向夏」は、爽やかな酸味があり私好み。

マスターいわく、「いちご」のフレーバーも、いわゆる今までのイチゴ味とは全く異なり爽やかな味になっているとか。

これから蒸し暑いなが〜い夏が続きます。こういう季節、いっ時、かき氷を食べて爽やかになりたいものです。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-10)仁と透とダイヤモンド

仁は、大学入学以前からタバコを吸っていた。父親の方針で「男子は18歳で元服」ということで、家庭内で、酒、タバコは解禁。自分の部屋でタバコを吸うなら、灰皿とライターは必要だろうということで、二つをセットで支給された。隠れてタバコを吸って火事になったらえらいことになる、という心配もあって母親と相談の上、そうなったらしい。

二つ年上の兄、貴(たかし)は、タバコに興味が全くなく、タバコに手をださなかった。三人兄弟の末っ子で次男坊の仁は、なんにでも手を出し、どこへでもついてゆく.大阪でよく言うところの「いっちょうかみ」の性格で、タバコに興味があった。

タバコを吸う大人を見て、ああいう風に、かっこ良くタバコの煙りをくゆらしたいと常々思っていたからだ。

ゴホゴホ。

タバコを吸わない透は、けむたそうに手で仁の吐き出したタバコの煙りはらっている。

「ジン、けむたいねん。ところで、大学で何処かのクラブに入ったんか」

「いや、まだや、お前は決めたんか」

「池田高校のテニス部の先輩からの誘いでテニス同好会に入ることにした」
透は、冷めた甘いコーヒーを飲みながら、そう答えた。

「同好会?そんなん生ぬるいんちゃうんかい」
仁は、同好会には全く興味がなかった。透がけむたそうにしているので、吸いかけのタバコを灰皿にこすりつけて火を消した。

「いや、その同好会は、準体育会で、高校のインターハイ出場選手がゴロゴロいる。それに、練習参加は、自由なんでアルバイトができる」

「ホンマか、それはええかも」
仁は、急に乗り気になった。父親の方針で「18歳で元服」といわれ、誕生日を迎えたその日から親からの小遣い支給はなくなった。もう立派な大人と親からは認められたはいいものの、経済的な自立も同時に求められた。

「アルバイトやっていかな、小遣い親から出えへんからな」
仁は、高校の友人の紹介で、すでに阪急百貨店の食堂部でアルバイトをしていた。

続く。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-9)仁と透とダイヤモンド




写真は、関西学院大学上ヶ原キャンパス中央芝生。

「そうか、残念やったな」
透は、一応そう言って慰めてみたものの、内心は幼なじみの仁との再会を喜んでいた。

「ちょっと木蔭に入って話すか」
透は、ハンカチでひたいの汗をぬぐった。

浮かない表情の仁は、気持ちを切り替えて「そやな、ここはあっついからな」
と言って辺りを見わたした。

木蔭で涼しそうな場所は、すでに学生が座っている。

「なんやったら、学生会館に行ってコーヒーでも飲むか」
仁は、切り替えが早いというか、ウロウロ探しまわるのが嫌いでそう言った。

ふたりは、少し歩いて学生会館の喫茶コーナーに辿り着き、ホットコーヒーを注文し、空いてるテーブルに座った。

「関学でまた一緒になるとはな」
透は、コーヒーが余り好きではなかったので、砂糖をスプーンで3杯入れ、フレッシュミルクをピッチャーからドバドバ入れてコーヒーをかき回していた。

「おいおい、そんな砂糖とミルク入れたらコーヒーの味せえへんやろ」
仁は、ちょっと煮詰まって苦くなっているコーヒーを我慢してブラックのまま飲んだ。

「まずいな、このコーヒー」

右のポケットから、ショートホープを取り出し、左のポケットからライターをゴソゴソ探し、タバコに火ををつけた。

ふー、口直しに煙りを吐きだしている。

続く。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-8)仁と透とダイヤモンド




写真は、関西学院大学西宮市上ヶ原キャンパスの中央芝生。

「ジン、大変なことになってきたな」
浅見は、幼なじみの仁(ひとし)のことを「ジン」という癖がいまだに抜けないでいる。業者の会合やお客様と同席して商談にあたることもたまにあるのだが、そのときは、気を張っているので、仁のことを「宝生さん」と言っている。

興奮したり、ふたりだけで「飲み屋」でくつろいだときは、思わず昔の癖がでる。

小学校3年のとき、透が引っ越し、中学、高校は違ったところで過ごすことになる。ただ、ふたりそれぞれのいきさつがあり、中学、高校とテニス部に所属。中学、高校の豊中市の大会で顔を合わすことになる。

高校は、仁が箕面高校、透が池田高校で、比較的近い距離にある高校に通い、特に、ふたりが所属するテニス部はお互い交流が深く、練習試合をよくする伝統があった。

奇遇だったのは、大学のオリエンテーションで、大学の構内でばったり会ったときだ。

「おーい、ジン」

どこかで聞いたような声で仁が振り返ると、そこには浅見透が息を弾ませて立っていた。

場所は、関西学院大学のキャンパスのなかの中央芝生だ。

「なんで、お前、ここにいてんねん。京都の同志社大学に行く言うてたやろ」

ちっ、しょうもない奴に会ってしまった。仁は、思わず舌打ちをしてしまう。

「同志社、落ちたんや。第二志望の関学しか通らんかった」
仁は、苦笑いをした。

続く。

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豊中市庄内西町 「GALLERY CAFE ぐるり」










阪急庄内駅から徒歩2、3分の距離にあります「GALLERY CAFE ぐるり」。ネットで調べるとカフェの中にギャラリーがあるということで、秋に開催予定の個人写真展の下見がてら訪問してきました。

先客には、女性数名と小さな子供連れのママが2ペア。後からわかったのですが、このカフェは、子供連れでも気軽に入れることで評判のお店だったのです。

せっかくなので、ランチをこちらでいただきました。「本日のランチ」は、チキン南蛮とお店のスタッフから提案がありましたので、アイスコーヒーのセットをオーダーしました。

これも後からわかったのですが、ランチは日替わりで変わるみたいです。

食事の後、ちょうどギャラリーで写真展が開催されていましたのでそれを拝見し、帰りにレンタルギャラリー利用規約をもらってきました。

いまのところ、写真展開催候補ナンバーワンでしょうか。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-7)仁と透とダイヤモンド

次に「CVD合成ダイヤモンド」について。
ブログにアップしたのは、2008年9月なので、その時点までの情報に基づいてまとめている。今度も専門的になるが辛抱してもらいたい。


CVD合成ダイヤモンド

2008/09/18

 2004年より、CVD(化学気相法)による、合成ダイヤモンド、特に、宝石品質合成ダイヤモンドの完成についてジュエリー業界で問題にしてきました。それは、天然ダイヤモンドと合成ダイヤモンドの看破にかかわる問題が派生するからです。
 CVD法は、工業界では、工業用チップの基盤材料として注目されていた技術です。CVD法は、化学気相蒸着法と呼ばれているように、炭素元素を含むガス(水素に少量のメタンを加えたガス)を低圧化で化学反応をおこさせ、基板にダイヤモンドを蒸着させる方法です。
 ボストンにあるアポロダイヤモンド社は、2004年初頭より、宝石質のCVD合成ダイヤモンドの製造を始めました。アポロダイヤモンド社によりますと、宝石質CVD合成ダイヤモンドの製造は、当初年間5,000~10,000ctを目指し、その後生産量を増やす予定であるようです。
 日本の大手鑑定鑑別機関の発表によりますと、光学装置を組み合わせることで、このCVD合成ダイヤモンドの鑑別は、充分可能という結果が出ています。現状では、市場において大きな混乱が生じるものではないと思われます。ただ、ジュエリー専門家として、その存在と概要は把握しておいたほうがいいでしょう。
 GIAでは、アポロ社製CVD合成ダイヤモンドのサンプルで各種検査によって統計をとっています。ルーペでの目視では、ブラウンカラー、カット石の浅さ、特徴的な歪みパターンが手がかりになることもあるようですが、それでもって、鑑別する結果が得られるようなものではありません。
 ダイヤモンドビューで観察された強いオレンジレッドの発光反応が、最も有効な目視上の手がかりとなります。
 検査したアポロ社製の合成ダイヤモンドは、いずれもタイプⅡaダイヤモンドで、中には、微量の孤立型窒素に由来する1334cm-1の赤外線吸収がみられたものがありました。N-Vセンターに関連する275nmと637nmの2つのフォトルミネネッセンスのピーク、大半のサンプルでは、天然にはない596nm~597nmの二重線があります。
 最近の検査では、CVD合成ダイヤモンドにHPHTプロセス処理を施したもの、窒素を意図的に添加したもの、その複合があり、鑑別は慎重さを必要としています。
 この種のダイヤモンドを正確に鑑別するには、ダイヤモンドシュア、紫外可視光線分光光度計、FTIRなどで正確にダイヤモンドのタイプを判断し、その後、フォトルミネッセンス分光特徴、ダイヤモンドビューによる画像特徴により識別が可能という報告が、GIAのジェム&ジェモロジーで報告されています。


以上、転載。

続く。

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