宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-15)仁と透とダイヤモンド
デビアス社の歴史とダイヤモンド産業について、ブログ「宝石月夜ばなし」過去ログからの転載の最後。
ここで、ひとつお断り。業者間で「0.08以下」のダイヤモンド、これまで社団法人日本ジュエリー協会の表記に準じて「メレ・ダイヤモンド」と書いてきた。しかし、我々の年代は、「メレー」と伸ばして発音するのが通例。多分、「melee」は、フランス語由来だからか。今まで違和感を感じつつ書いてきた。
すでにお気づきの方もいるかもしれないが、このところ「メレー」と表記している。
「ダイヤモンド」「ダイアモンド」どちらで書くべきか、とよく似た問題だが、途中から変えることにご容赦願いたい。
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デビアス社の歴史とダイヤモンド産業(3)
2010/02/16
ダイヤモンド市場を独占してきたデビアスに変化があらわれます。
2000年、デビアス、DTCは、サプライヤー・オブ・チョイス(SOC)戦略を発表し、その後その政策を実践してきました。
サイトホルダーを見直し、2005年6月には、新たに11社(団体)が文字通りチョイスされ、7月には、DTCによる「付加価値サービス」(VAS)が適用されました。新たに選ばれたサイトホルダーの会社には、インド、南アフリカの会社が多く含まれています。スモールサイズの研磨をインドで、ラージサイズの研磨を南アでといったDTCの戦略が見てとれます。
デビアスはかつては、南アフリカのヨハネスブルグ市場やロンドン市場などに上場していましたが、2001年に上場廃止。南アフリカの大富豪であるオッペンハイマー一族が、彼らの所有するアングロアメリカン社と共に株式の8割以上を取得し、事実上私有化したためです。
デビアスは、小売業態にも積極的に進出します。
LVMHとの合弁事業であるデビアスLV店は、ロンドンに1号店を開店。その後、日本で百貨店のインショップ展開。米国では、ニューヨーク五番街店に続き、2005年には、ビバリーヒルズ店を開店しています。
デビアスは、経済成長が著しい中国にも出店しようとしています。2010年2月11日、ブルームバーグが以下のように発表しました。「ダイヤモンド生産で世界最大手のデビアスは、ダイヤ小売り事業の中国戦略を真剣に検討しており、同国に複数の店舗を開設する可能性がある。同社マネジングディレクターのガレス・ペニー氏が南アフリカ共和国ヨハネスブルクの702トークラジオとのインタビューで述べた」。
今は、デビアスと言えば、ダイヤモンドそのもののブランドであったり、ダイヤモンドジュエリーのブランンドとしてユーザーに認知されるようマーケティング戦略が展開されています。トリロジーという3個のダイヤモンドを使ったダイヤモンドジュエリーは、DTCの登録商標で、販売できるショップは限定されています。DTCに認定を受けていない専門店では、トリロジーというブランド名を使用することはできません。フォーエバーマークも同様です。
販売戦略の変更(SOC~サプライヤー・オブ・チョイス)により、今は「DTC」がタイアップしている大手ナショナルチェーンや専門店の販売促進のバックアップをしています。
デビアスDTCのSOC戦略、デビアスブランドの小売、鉱山開発や研磨地域の特性化は全て新しいネットワークの構築へのチャレンジだと思います。
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