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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-2)仁と透とダイヤモンド

浅見透が、南桜塚にある「南桜塚小学校」に小学3年のとき転校してしまったので、暫くふたりは会うことがなかった。地元でガキ大将で運動神経が抜群だった仁は、小学5年生から「豊島小学校」の選抜軟式チームに入り野球に明け暮れていた。

当時、豊中市では、今でいう「少年野球チーム」なんていうシャレたものはなかった。仁が小学5年生のとき、体育の先生が各クラスで野球のうまい生徒を集め即席の軟式野球チームを作った。先生がいうには、2年後、豊中、能勢地区の小学校代表の軟式野球大会が開催されるらしいのだ。仁は、チームのなかで強肩だったのでサードを守ることになった。小学生レベルでは、ボテボテのサードゴロを一塁でアウトにするには相当地肩が強くないとむつかしかったのである。

野球好きの藤波先生のもと、放課後の練習はもちろんのこと夏休みも全て返上して泥まみれになって練習に明け暮れた。チームをA、B、2チーム作り、練習試合も重ねた。チームのにわか監督になった藤波は、本気で「豊能地区」大会優勝を狙っていたようだ。

続く。

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宝生家の宝食なる日々〜第3話 (3-1)仁と透とダイヤモンド

宝生仁(ひとし)の突然の訪問によりジェムクラフトのメンバーによるミーティングが始まった。

メンバーは、宝生仁、仁の一人娘ヒカル、オーナーの浅見透、デザイン・原型制作など浅見とともにジュエリー製作担当佐々木真一、ジュエリーコーディネーター1級の北条理恵だ。

仁と透は、共に宝飾業界の二代目どうし。仁の父宝生正と透の父浅見健は、仕事仲間だった。もともと浅見は、今の阪急宝塚線「服部天神」駅から歩いて7、8分の一軒家に住んでいた。余談ではあるが、最近駅名が、「服部」から「服部天神」に変わったばかりだ。

宝生家は、大阪阿倍野に住んでいたのだが、「ある事情」で服部に引っ越してきた。昭和33年の秋のことである。仁は、当時3歳になったばかり。彼の記憶は、引っ越してきた服部のススキが広がる風景から始まっている。

当時の服部は、牛が田畑を耕すような田園風景が広がっていた。

仁は、大阪市内の賑やかな街からずいぶん田舎に引っ越してきたものだと強く印象を持ったのであろう。

仁と透は、同い年で小学生のときの同級生だ。ただ、ふたりは同じクラスになることはなく、小学3年のとき浅見家が豊中の南桜塚に引っ越してしまった。ただ、親同士が仕事仲間だったので、仁と透は、よく学校がえりによく遊んだ間柄だった。

続く。

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春の陽光










ここ大阪にもようやく春の陽光が明け方から降り注ぐようになりました。早朝散歩が気持ちいい。

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豊中市 服部緑地公園梅林にて










やっと春がきました。久しぶりのサイクリング。ノンビリと服部緑地公園の梅林にて休息。梅林前の売店で抹茶ソフトを食べながらブログ書いてます。

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