日本のジュエリー産業の未来
日本のジュエリー産業は、100年余りの歴史。ジュエリーが市民権を得たのは、戦後になって「デビアス」が日本でダイヤモンドのプロモーションをやり始めたときからではないでしょうか。
日本のジュエリー産業の歴史を、「100年もたった」と捉えるか、「まだまだ100年」と考えるのとは、これからの予測に大きな違いが出ると思います。
「100年もたった」と考える方は、100年の歴史を経験しているのに、なんて脆弱、と考えがち、「まだまだ100年」と思えば、欧米との比較において、まだまだ産業は黎明期、と考えないでしょうか。
私は、「まだまだ100年」という考え方です。過去、デビアス、PGI、WGCなどの販促機関に「おんぶにだっこ」だったにせよ、短期間でよく売り上げを伸ばしたと思います。
但し、いままでは、サッカーでいえば、「Jリーグ」と同じで、ほとんど国内の業者だけの戦いでありました。これからはますます、W杯と同様、世界のジュエラーと戦わなければなりません。
真の実力が問われる時代。マンパワーを含めた組織、戦略、経営力が重要。
日露戦争、日本海海戦で、ロシアバルチック艦隊を全滅させるための戦略をひとりで考えたと言われる「秋山真之」のような人が、日本ジュエリー業界には必要ですね。
ただ、秋山策定の戦略を遂行できうる砲兵や船長がいて、優れた砲弾があったからということを忘れてはなりません。
お話しは変わりますが、第二次戦後、闇市などが公然と乱立していて、国の規制がゆるやかな時代、「エンジン付き自転車(バタバタ)」のメーカーは、あの本田宗一郎が作って大ヒットした後、浜松を中心に「ウドのたけのこ」のように乱立しました。そして、多くのバイクメーカーが出来たとか。しかし、様々な淘汰の末、残った国内二輪バイクメーカーは、「ホンダ」「カワサキ」「ヤマハ」など数社に過ぎません。
日本のジュエリーメーカーは、戦後のバイクメーカーとどこか似ていませんか?
それと「名前」は残っても、母体の経営は海外業者が握っているという会社が今後ますます増えますね。
でも、それも過渡期なのでしょうね。20年後には、そういうことだったんだと回顧することでしょう・・・・。ほんまかいな・・・。
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