宝生家の宝食なる日々 第2話(2-1)

ヒカルとメレ・ダイヤモンド



写真撮影及びデータ提供 (株)サノ・トレーディング


コンコンコン
だれもいない部屋から小気味いい音が響く。ヒカルは、メレ・ダイヤモンドをアソートするため事務所に早くから出勤している。
ヒカルは、メレ・ダイヤモンドをスコップですくい、円筒型のシーブの中に入れた。シーブの底には、小さな穴のあいた円盤型のプレートがセットされている。メレ・ダイヤモンドを篩にかけている。

コンコンコン。ヒカルは、シーブを軽く回しながらシーブの外側をピンセットで叩いて、篩を通り抜けて下に落ちるダイヤモンドがないか確認している。

「ヒカルちゃん、早いね」そこに、ジェムクラフトのオーナー社長、浅見透が部屋に入ってきた。
透がちらっと壁かけ時計を見た。まだ、8時10分だ。始業時間の9時まで50分もある。
「ヒカルちゃん、今日は、一段と早いね」新人のヒカルは、普段から始業前30分には出社している。

「だって、社長、メレ・ダイヤモンドをシーブでふるうときコンコンうるさいでしょ」




ヒカルの使っているピンセットは、チタン製。軽いので、長時間作業が続いても疲れにくい。
そのピンセットに輪ゴムをぐるぐる巻きつけている。シーブでダイヤモンドをふるいにかけるとき、シーブ本体を軽くまわしながら、ピンセットでシーブの外側をたたく。その時、カンカンと金属音が響く。その音は、甲高く部屋に響く。

輪ゴムをピンセットに巻くことによって、それが緩衝材になり、甲高い音がいくらか緩和される。

それを教わったのは、父の仁だ。実はヒカルは、大学時代、御徒町にあった仁の事務所で、父の仕事を手伝っていたのだ。

ヒカルは、シーブでメレダイヤをアソートしたあと、石数を数えている。ピンセットの先でダイヤを3ピースずつ33回数え、それに1ピースを加え、100ピースの山をソーティングパットに何個も作っている。大量のメレを数えるには、この数え方。少なければ、3ピースプラス2ピースで5ピース、それを2回で10ピース数え、10ピースの小さな塊をソーティングパットの上に作っていく。

根気がいる作業だが、これが基本。

では、ここで簡単に「メレ」について解説。
メレとは、melee[melei] confused struggle,confused crowed of peaple (開拓社 現代英英辞典より)

日本語に直すと、大渋滞、大混雑。

ジュエリー業界では、「メレー」と伸ばして発音するのが一般。ここでは、「ジュエリー用語事典」(社団法人日本ジュエリー協会 発行)表記に準ずる。

大きさは、広義では、0.3ct未満。業者間では、0.10ct未満のダイヤモンドをメレ・ダイヤモンドと言っている。理由は、0.10ctサイズを「テンパー」といって区別しているためか?
ここでは、さらりと解説するにとどめる。

ちなみに、「ジュエリー用語事典」では、「通常0.1ct以下の小粒ダイヤモンド。ルビーやエメラルドなどにも、メレ・ルビーやメレ・エメラルドのように用いられる。0.1ct以上0.25ct以下の場合にも用いることがある」とある。




無蛍光紙でできている「ダイヤモンド・カラー・グレーダー」

今、ヒカルがアソートしているのは、バンコク・メレだ。メレ・ダイヤモンドの約90%は、インドメレといわれている。メレサイズの形のいい原石は、バンコクのカッティング業者に供給されている。メレサイズの形のいい原石は少なく、そのほとんどがインドでカットされている。

メレ・ダイヤモンドの原石の良し悪しは、フルカット(ラウンドブリリアントカット)にした場合のメイク(カット)の良し悪しに直結する。

さて、専門的なお話し、これくらいにしよう。
ヒカルの数え終えたロットは、社長の浅見が甲斐貿易から仕入れたもので、すでに浅見が品質をチェックしたものだ。ダブルチェックのため、ヒカルが品質の再チェックをしている。
ヒカルは、次のロットを取り出した。次は、そう簡単にはいかない。インド・メレのロットだ。

ヒカルは、そのメレをソーティングパットにあけ、スコップで適量をすくい、紙でできた「ダイヤモンド・カラー・グレーダー」の溝にざらっと注いだ。

ダイヤモンドのカラーグレードや色石の色調を判断する「デイライト」の光のもとにそれをかざした。
ダイヤモンドのカラーグレードが落ちるものをピックアップするためだ。




豊中市曽根南町1丁目 「パン工場honohono」菓子パン

「おはようさん!」
佐々木真が元気に事務所に入ってきた。佐々木は、社長の浅見の愛弟子だ。自宅から事務所兼サロンのジェムクラフトまで自転車で通っている。日焼けした顔に白い 歯が印象的な好青年だ。

「佐々木さん、おはようございます」ヒカルも明るく返した。
ヒカルは、やり始めたインドメレのアソートをひとまず置いた。
「社長、佐々木さんも来たことだし、朝のコーヒータイムにしません?近くのhonohonoさんで、美味しいパン買ってきてますから」

「そうか、そらええね」社長の浅見はうれしそうだ。
「社長の好きなブラウニー買ってありますよ」
「パン工場 honohono」は、阪急曽根駅から歩いて約5分、豊島公園から歩いて1分ほどにある小さなベーカリーショップ。地元で評判の個性的なパン屋だ。
「わたしは、カップケーキの形した[おいもソフト]、佐々木さんは、棒状の[クリームレーズン]でいいでしょ?」

「ええよ」佐々木は、軽く答えながらコーヒーメーカーに三人分のコーヒーと水をセットしている。

「ヒカルちゃん、いつも悪いね」浅見は、ニコニコ笑っている。実は、浅見は、ここのブラウニーが大好きで、事務所の冷蔵庫に、いつも何個か貯蔵しているのだ。
「いいの、いいの、どうせお代は社長からいただくから」

「そ、そうだよね」浅見は、苦笑している。
ジェムクラフトの事務所のスタートは、9時で、併設するサロンのオープンは、10時だ。サロンのオープンまで、サロンの掃除があるが、三人でやれば30分ほどで終わる。
三人は、事務所のテーブルで、美味しいパンとコーヒーでしばしゆったりとした時間を楽しんでいる。



豊中市南桜塚にある「あけぼの学園」玄関先にて撮影


浅見透が経営する「ジェムクラフト」は、豊中市南桜塚にある。阪急曽根駅から服部緑地公園へのびるバス通り「曽根服部緑地線」を曽根駅から暫く歩くと、国道176号にあたる。この国道は、豊中市を南から北に縦断するもので、地元では略して「イナロク」とよんでいる。

その「イナロク」を越えてすぐ左側が「南桜塚」だ。ジェムクラフトは、南桜塚2丁目にある。あたりは、閑静な住宅街だ。

近くに「あけぼの学園」があり、近くを通ると園児の元気な声が漏れ聞こえてくる。国道176号沿いにあるパン食べ放題「サンマルク」や「ロイヤルホスト」があり、浅見のジェムクラフトから近く、浅見はよく利用している。

ジェムクラフトは、いわゆる「ジュエリー工房サロン」である。浅見は、15年前、自宅を改装して、1階を工房兼事務所それにサロン、2階を住居にした。

庭を半分潰し、駐輪場と車が3台置ける駐車場にした。浅見は、住居を改装するにあたり、自家用車を売り払った。自分の自動車を駐車場に置くと、お客様が置ける駐車スペースが減る。それは避けたい。かと言って、近くに自分用の駐車場を借りるとなると経費の無駄遣いとなる。

浅見は、決断し、愛車の「ホンダアコードワゴン」を中古車ディーラーに売った。もしドライブしたかったらレンタカーを借りればよい。浅見は、お客様第一主義を貫く決心をした。
ジェムクラフトは、外からみると、ちょっとシャレた一軒家にしか見えない。

「おはようございます」よく通るきれいな声だ。北条理恵が出勤してきた。時計は、9時45分をさしている。彼女は、水曜日から日曜日まで午前10時から午後7時までジェムクラフトでパートタイムで働いている。

いつも判で押したように、拘束時間の15分前に出勤してくる。北条理恵は、接客、販売のスペシャリストで、難関の「ジュエリーコーディネーター1級」に合格している。ただ、ジェムクラフトには、時給制で働いている。ジェムクラフトのオーナー浅見透は、彼女と「時給1000円」で契約している。

理恵は、月曜と火曜日、自宅マンションで「お花」を教えている。

実は、北条理恵は、ヒカルの母、宝生麗子の友人だ。麗子も理恵ももともとは、化粧品メーカーのいわゆる美容部員だったのである。麗子と理恵は、同じ会社の同期入社で、理恵は数年で会社のトップセールスになった。麗子は、ランクとしては、中の上あたりでいつもウロウロしていた。麗子は、理恵の頑張りに触発され、一時は仕事に張り切るのだが、それが長続きしなかった。

理恵は、トップセールスとして、銀座の百貨店に配属された。その百貨店は、化粧品が売れる店として有名で、各化粧品メーカーは、それぞれトップクラスの人材を配置している激戦区だ。

麗子と理恵は、銀座でよく落ち合い、仕事や会社の不満をサカナによく飲んだものだ。二人ともアルコールに強いタイプで、いくら飲んでも顔に出ない。






写真は、デイライト。撮影及び画像データ提供:(株)インタージェム


北条理恵は、毎週水曜日、サロンに出社するとエントランスに飾る花をいけるために奥の事務所にある炊事場にいって作業をする。

「おはよう、ヒカルちゃん。ジュエリーコーディネーター3級、一発合格したそうね。おめでとう」
「おはようございます。理恵さんのアドバイスがよかったからですよ。ありがとうございます」

ヒカルは、ダイヤモンド・メレのアソート作業の手をとめて、にっこり笑った。ヒカルは、今インド・メレのカラーをチェックしている。

ソーティングパットに広げたダイヤモンド・メレをスコップで適量すくい、無蛍光紙でできたダイヤモンド・カラーグレイダーの溝に注ぎ入れ、「デイライト」の光のそばに持っていく。

ピンセットでメレを溝に広げながら、色をチェックしていく。ジェムクラフトでは、メレのカラーは、カラーグレードの「H」アップを使用するのが社内基準。

この時、ダイヤモンドの鑑定機関のように、カラーグレード用のマスターストーン(付け石)は、使わない。目で覚えている「H」カラーと比較している。

デイライトは、ダイヤモンドやカラーストーンの色の判別に使用するジェムライト。自然光に近い光を発する。

ヒカルは、「H」カラーより落ちると思うメレを手際よくピンセットてつまみ、ソーティングパットの一箇所に集めていく。「H」アップのメレもひとまとめにしている。

この作業を繰り返して行なう。通常、カラーの判定は、午前中に行ったほうがいいとジュエリー業界では言われている。カラーの判定は、午前中11時ごろ北側の窓からの採光のもとでやるのが最適とされているからか?目が疲れていない午前中にやったほうが賢明なのは確か。

| | コメント (0)

宝生家の宝食なる日々 第2話(2-2)














写真撮影及びデータ提供 (株)インタージェム会長 佐藤 郁雄氏


閑話休題

〜パーセル・ペーパー用ペーパーウエイト〜

筆者が仙台のジュエリーサロン会長佐藤氏にスコップの写真提供をお願いしたところ、スコップ(ダイヤモンド・シャベル)とともに送られてきた写真のひとつに見たこともないモノが、、、。

コレは、一体なに?
疑問に思った私は、さっそく佐藤氏に電話。
佐藤さん、パーセル・ペーパーの上に乗っかっている四角いモノは一体なんですか?
あっ、アレね。佐藤氏が、スマホに耳を当てながら、少しほくそ笑んでいるように感じた。やはり、聞いてきたか、と内心ニヤリとしたと思うのは穿ちすぎか。筆者の勝手な想像。

アレは、パーセル・ペーパー用のペーパーウエイト。「Rubin&son」社の現在非売品とか。確かに、写真をルーペで拡大してみると「Rubin&son」の刻印が見える。
そういえば、スコップも通常のものと違い、形がおしゃれだ。持ち手も付いている。
いやー、珍しいものをお持ちですね、と筆者。
あれは、私の個人コレクション。収集癖が災いしてね、と佐藤氏。

ちなみに、パーセル・ペーパー用ペーパーウエイトは、パーセルがくるっと巻き戻るのを防ぐための道具。一辺の長さが約12センチ。
「Rubin&son」サイトを丹念にチェックしてみたが、写真が一枚あっただけで、販売はしていない模様。
ともかく、貴重な道具を提供していただいた佐藤氏に、感謝申し上げる。



「ヒカルちゃん、12時過ぎたから、そろそろお昼にしてくださいね」
ジェムクラフトの社長浅見透は、真剣に机に向かっている宝生ヒカルに声をかけた。

「ハイ、わかりました。このロットのアソートをやっつけたらお昼にします」
ヒカルは、呼びかけた浅見に振り返ることなく机にかじりついたまま応えた。
今、ヒカルは、メレ・ダイヤモンドのクラリティーとメイク(カット)のアソート作業に真剣だ。

ソーティングパットにほぼ半円に伸ばしたメレをピンセットで1ピースずつピックアップし、宝石用の10倍ルーペでダイヤのクラリティーとカットを検品し、基準に合わないメレをリジェクションしている。
右肘を机の角に固定。利き目の右眼近くにルーペを持っていき、薬指と中指の間にメレを挟んだところでルーペの焦点が合うようにしている。

「イチ」でダイヤをピンセットで掴み、「ニイ」でクラリティーとカットを判別、「サン」でダイヤをソーティングパットの所定の場所に置く。
ヒカルは、その作業をリズミカルにおこなっている。

このロットは、高級品の脇石に使うもので、クラリティーは、VS2-SI1まで、カットはGoodまでが合格で、その基準より落ちるメレをはじいていく。

ヒカルは、学生時代、御徒町にあった父仁(ひとし)の事務所でダイヤモンド、材料ものの色石のアソート作業のアルバイトをしていた。ヒカルのアソートは、仁仕込みだ。

ヒカルは、今インドメレの50パー(per)のロットと格闘中だ。「パー(per)」とは、ほぼ均一化の重さのメレの1カラット当たりの個数をいう業界符丁で、50パーのロットは、1ピース当たり平均0.02カラットのロットのこと。
ヒカルは、ある一定のテンポで、メレを選り分けている。ただ、少しその手がとまるときがある。ジェムクラフトの基準に合致するかリジェクションすべきか悩むピースに当たったときだ。

ヒカルは、ソーティングパットに大きく三つの円を書いている。品質上問題のないもの、落ちるもの、あともう一つは、どちらか迷うものの三つ。そこに、ルーペで検品したメレをおいて「山」を作っていく。
ボーダーラインに引っかかる石は、そのロットのアソートをやり終えた後、もう一度時間をかけて検品する。

三つに分けたほうが効率的だし、作業にテンポがでる。作業には、リズム、テンポが必要。そう教えたのは、父の仁(ひとし)。

バンコクメレは、インドメレよりかなり割高だが、上質のメレがロットで揃う。インドメレのトップクラスのロットは、バンコクものに劣らないと言われてきた。しかし、ジェムクラフトは、メレに対して妥協しない。

特に、プラチナやホワイトゴールドの製品には、色、キズ、カットの上質のメレを使う。脇石(サイドストーン)の良し悪しで、製品全体の完成度が決まるからだ。

「ヒカルちゃん、もう12時半よ」
昼休憩をなかなかとらないヒカルを心配した北条理恵が呼びにきた。





「理恵さん、やっと終わりました」
ヒカルはちょっと力なく返事をした。集中してメレのアソートしていたので、さすがに疲れたのか、両手を伸ばしながらひとつ大きく深呼吸をした。

ヒカルは、アソートしたメレ・ダイヤモンドユニパックにスコップに分けいれ、ロット番号と枝番をふっている。ジェムクラフトで使えるもの、使えないもの、そしてボーダーのものの三つだ。それぞれに仮の枝番をユニパックに書きこんだ。

この後、北条理恵がアソートの練習をするためにヒカルは三つのロットに分けている。理恵は、ジュエリーコーディネーター1級の資格をもっているが、まだまだ素材の良し悪しについては、ヒカルに及ばない。

理恵は、物事に対して貪欲だ。ただ、興味のないものには、さらりとしている。美容部員としてトップの成績をおさめてきたのも、知識や技術の習得に貪欲で、ひと一倍負けず嫌いの性格による。

ヒカルは、事務所の隣のキッチンで、ランチボックスからサンドイッチをお皿にもり、ブラックコーヒーをいれた。

「ヒカルちゃん、おもしろいサンドイッチ食べてるね」ジェムクラフトのオーナー浅見透は、のぞきこんでそう言った。
「パパが朝作ってくれたの。なんでも、大阪風たまごサンドだって」
「そうなんや。相変わらず、まめやね、奴は」

コンコン。
「よう、ここか」
「あら、パパ!」
宝生仁(ひとし)がキッチンに勢いよく入ってきた。

「11月22日、いい夫婦の企画ジュエリー、順調に進んでるか」
「ああ、おかげさんで注文をこなすのに大変やねん、猫の手も借りたいくらいや」と、浅見。
「そうか、そら良かった、良かった」

仁は、ジェムクラフトの商品企画、広報を担当している。東京で培った人脈を生かして、ダイヤモンド、色石などの調達も兼ねている。

「パパ、あのデザイン、石合わせが大変!」ヒカルがぼやく。
「いい夫婦、縁を重ねて」の企画は、円(まる)をふたつ重ねたモチーフのリング、ペンダントのジュエリーの提案。

ただ、単純にラウンドのメレ・ダイヤモンドを使わず、ペアーシェイプとマーキスのダイヤモンドがメインの材料。バリエーションとして、ルビーを使ったパターンも展開している。しかも、価格は、夫婦に引っ掛けて、すべて「22」万円に統一している。

「浅見、オレも値段に見合った材料捜すの苦労したわ、値段もこの品種だと破格のプライスになる」

第2話 終わり。

| | コメント (0)