プロローグ〜サードウェーブ ジュエリーショップ黎明の予感
写真撮影は、辻 直之。
豊中市豊島公園「永遠の輝き」モニュメントにて。
日本の高度成長期からバブル崩壊までの間、国内のジュエリー産業は、ずっと右肩上がりの成長を続けてきた。バブルが崩壊してからの数年間は、急速に業績を伸ばしてきた余力があり業界全体の売り上げの鈍化はそれほどでもなかった。宝飾業界を引っ張ってきた業界大手の社長、経営幹部たちは、そんななかで、まだまだこれから挽回の余地はあると髙を括っていて、業界のセミナーなどでも楽観的な持論を展開していた。
しかし、それは非常に甘い現状分析であったし、それにともなった未来予測は当然現実から乖離していった。V字回復させるための初動行動の遅さが災いして、急速に落ち込んでいく売り上げに、楽観論を披露していた会社のみならず、ほとんどのジュエリー関連大手企業は業績が上がらないまま数年が経過してしまう。その後、売り上げ不振の企業は、倒産、会社の極端な縮小、あるいは、他社に吸収合併されることになった。
どうしてそうなったのか。戦後日本のジュエリー業界の歴史を知ると理由がわかるはずだ。
そこで、私が過去にまとめた戦後の日本ジュエリー産業の歴史を次に紹介する。
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1945年(昭和20年)
8月15日、終戦を迎える。(終戦の玉音放送)占領化、真珠の売れ行きが急増し、ダイヤモンドも品薄となり、繁華街に宝石を扱う店が増える。その時期は、どんな商売でもヤミ取引が横行していたので、その手の宝石商売も多かったと聞いている。
1949年(昭和24年)
単一為替レートが決定し、1ドル360円となる。メレーダイヤモンドが急騰。
1961年(昭和36年)
7月、ダイヤモンド以外の宝石類が自由化となり、8月ダイヤモンドが自由化。つまり、宝石の自由化元年。宝石業者が、ぼちぼち海外に買い付けにいくようになる。
1965年(昭和40年)
デビアス日本に進出。日本におけるダイヤモンドジュエリーブームがこの年を契機に始まる。
1966年(昭和41年)
10月29日、大蔵省(日銀)の接収ダイヤモンド放出があり、徹夜の行列をなす。前年のデビアスの進出とともに、日本のダイヤモンド業界の転機となる。
1971年(昭和46年)
ドルショック(ニクソンショック)。1ドル308円に。(円高ドル安)当然、この年、海外に買い付けにいく宝石業者が増える。
1974年(昭和49年)
金細工品の輸入自由化。いよいよ、日本におけるジュエリー産業が上昇気流に乗り始める。
1982年(昭和57年)
ダイヤモンド婚約リング取得率70%となる。デビアスのキャンペーンが浸透したと言える。
1986年(昭和61年)
喜平ネックレスブームが巻き起こり、百貨店などで安売り合戦が始まる。
1989年(平成1年)
物品税が廃止になり、消費税が導入。物品税の廃止にともない、業者証明が必要なくなる。総合商社のジュエリー業界参入、あるいは、異業種からの参入が相次ぐ。当時のバブル景気に便乗し、ジュエリー業界は活気づく。しかし、一方で、同業他社との過当競争始まる。
1990年(平成2年)
空前のティファニーブームとなり、クリスマスには、百貨店のティファニー売り場には、長蛇の列ができる。
1992年(平成4年)
バブル崩壊が始まる。ジュエリー業界全体の売り上げに翳りが見え始める。消費の冷え込みがすすみ、贅沢品、嗜好品の代表格であるジュエリーに対する需要は、さらに落ち込む。
1993年(平成5年)
第一回ジャパン・ジュエリー・フェアー開催。本格的ジュエリー業界展の幕開け。
1998年(平成10年)
いよいよ、海外有名ブランドジュエリーが、日本に本格参入。日本のジュエリー業界同士の勝ち残りから、海外ブランドジュエリーとの競争になる。
2003年(平成15年)
海外のジュエリーブランドは、百貨店のインショップから、独自に店舗を展開することに拍車がかかる。特に、銀座は、出店、改装ラッシュとなる。
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2003年までの日本のジュエリー業界の主な動向に関するまとめは以上である。
その後、日本におけるジュエリーの売り上げの約30%程度は、海外ブランドショップが占めるにいたる。最大3兆円あった日本のジュエリー産業規模は、今やその3分の1以下にまで落ち込んでしまっている。
日本のジュエリー産業が低迷するなか、デビアス(ダイヤモンド プロモーション サービス)、ワールド ゴールド カウンシル、プラチナギルド インターナショナルの三大販促機関が事実上日本から撤退していったことは業界にとって大きな痛手となった。なぜなら、日本のジュエリー業界の販促活動は、ほとんどそれらの機関に依存していたからである。
さらに、デフレによる銀行の貸し剝がし、総合商社のジュエリー業界からの一方的な撤退は、委託体質だったジュエリー業界にとって、ダブルパンチのようにダメージとなった。
さて、ジュエリー業界の戦後第1の波は、デビアスの日本進出によるダイヤモンドブーム、第2の波は、物品税廃止による異業種参入により業界規模拡大とすれば、バブル崩壊後長く低迷を続けてきたジュエリー業界において、独自の販売戦略、個性的な商品展開をして業績をのばしていったジュエリー専門店は、新たな潮流を生み出しているといってよいのではないか。
それは第3の波、サードウェーブとも言える。
このブログでは、主要都市圏、及び地方都市において個性的、独創的な販売スタイルで売り上げを伸ばしているサードウェーブ的ジュエリーショップ、サロンを探訪し、そのレポートを紹介する。
宝石、ジュエリー購入、リフォーム、オーダージュエリー発注などを考えたとき、どこのジュエリーショップに行けば良いのか、また、どこの誰に相談すればよいのか、悩むところだ。このブログがそういった場合の選択肢の一助となればジュエリーレポーターとして幸いである。
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- プロローグ〜サードウェーブ ジュエリーショップ黎明の予感(2018.05.08)
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