2018年11月10日 (土)

仙台 インタージェム「ジュエリーを通して人と人との縁をつなぐ 」

JR仙台駅で降りて、青葉通り沿いを南に少し歩くと、「青葉21」の細長いビルが見える。ビルの1階でエレベーターに乗り、7階に到着。エレベーターの扉が開くと、すぐ目の前に「インタージェム」サロンのエントランスが現れる。



アクアリウムには、白珊瑚が揺らめき、可愛いクマノミが珊瑚からはずかしそうに顔を出している





毎週変わる、エントランスの花。季節感溢れる洗練された生け花が目を惹く。

創業者は、佐藤郁雄氏。東北工業大学電子工学科を卒業後、アメリカに渡り、米国宝石学会GIA(GEMOLOGCAL INSTITUTE OF AMERICA)G.G.取得、米国宝石学会デザインコース及びパールコース卒業し、さらに英国宝石学会F.G.A.を取得した、宝石、ジュエリーのスペシャリストである。現在、インタージェムの代表取締役会長である。

GIA G.G.、F.G.A.の資格は、世界に通用する宝飾業界における二大タイトルであり、日本の宝飾業界において、両方のタイトルを持つダブルタイトル保持者は、極々わずかである。かくいう筆者も、GIA G.G.であり、2代目社長の佐藤正剛氏もG.G.を取得している。佐藤郁雄氏とはGIA卒業生の親睦団体であるNGSで知り合って名刺交換したのがお付き合いの始まりである。

私自身、過去に宝石・ジュエリー輸入卸会社に勤めていたことがある。駆け出しのセールスマンであったとき、仙台の老舗宝石店の催事応援に駆り出されたことがあった。当時、卸会社の東北地方担当セールスから、仙台の主だった小売店の名前は聞いていた。しかし、佐藤氏と名刺交換するまで、失礼ながら、インタージェムの名前すら知らなかったのである。





サロン部分全景及び商談コーナー。可愛いゴリラのぬいぐるみが座っていて、気持ちが和む。





商品展示コーナー。
ブライダルコーナーは、京都のブランド「ラパージュ」。
ダイヤモンドジュエリー、カラーストーンジュエリー、佐藤郁雄オリジナルジュエリー、真珠コーナーがある。

仙台のインタージェムには、過去に2回取材している。
2006年12月、自店の全てのカラーストーンに鑑別書を付け、さらにそれぞれのジュエリーの正札に、その石の処理についてコメントを開示しているということを知り、その意義、目的、効果について取材している。

2008年5月、インタージェム主催の宝石教室について、私も参加する形で2回目の取材をしてぃる。

さて、今回は、現社長 佐藤正剛氏と会長となった佐藤郁雄氏に最近の販売活動についてお話しを伺った。実は、2代目社長である佐藤正剛氏とこういう形で膝を詰めて話すことは今回が初めてである。会長の佐藤郁雄氏とは、佐藤氏が社団法人日本ジュエリー協会ジュエリーコーディネーター部会長であったときに接点ができ、東京で何度も会っていたので、その人となりはだいたい掴めてきた感触はあった。しかし、社長とは今回が初めての面談であり、私と社長双方に緊張感があった。

ただ、佐藤会長が所用で立席して、ふたりだけになったので、正剛社長に様々な質問をしてみたところ、考え方の芯しっかりできているのが分かってひとまず安心した。創業者社長が2代目に引き継ぐ場合、その帝王学をいかに伝授するかが難しく、2代目社長は大阪でいう「ええところのぼんち」になりがちであり、せっかく創業者が長年築いてきた会社の信用や実績を台無しにしてしまうことがあるのだ。

さて、佐藤会長が長年積み上げてきた経営哲学を総称して、私は、「佐藤イズム」と呼んでいる。では、佐藤イズムとはなにか。

それは、三つある。

ひとつは、「徹底した顧客第一主義」であり、「信用の善循環」である。
全てのカラーストーンジュエリーの正札に具体的な処理を明記したり、素材である石の原産地のトレーサビリティの証明をウェブサイトで公開しているのは、ジュエリー専門店ではごく稀である。

食品業界では、常識である、原産地表示、アレルゲンの明記。ジュエリー業界においては、原産地の表示や石の処理の明記が徹底していなかったときから、インタージェムでは、業界に先駆けてそれらを徹底していた。そのことは、顧客のことを第一に考える佐藤会長の姿勢の原点である。こういう会長の姿勢が優良顧客から、口コミで友人、知人に広がり、そして、新しい顧客となり、店売りの拡大に返ってくる、そういう良い循環を生んでいる。それこそが「信用の善循環」である。

ふたつ目は、ジュエリーの魅力を伝える伝播力である。
インタージェムの展示会は、全て自店のサロン部分をその期間、展示会仕様に設営して行っている。そして、毎回お客様に飽きられないよう展示会のテーマを変えている。

ちなみに、2018年7月29日・30日の展示会は「技術と伝統で一生ものの上品ジュエリーコーディネート」であった。

この展示会では、お客様にジュエリーを展示会場で身につけて楽しんでもらうことが第一で、成約に結びつけるような積極的なセールストークは厳禁である。それは、ジュエリー催事においての常識を覆している行為と言っていい。ただ、そのことで、お客様は安心して毎回のように展示会に足を運んでくれるようだ。

最後が、「ジュエリーを通して人と人との縁をつなぐ」ことである。このことは、現在、インタージェムのコーポレートアイデンティティになっている。ジュエリーのリフォーム需要は、着実に増えている。ただ、経験豊富で確かな知識と技術的に優れた職人とのネットワークを持つジュエリー専門店は少ないのが現状である。

インタージェムは、佐藤会長が中心となって、リフォーム需要に対応している。そして、同社は、仙台中心の大人のプレミアムマガジン「仙台闊歩」に毎号「甦るジュエリー」と題してリフォームジュエリーの実例を紹介するページを持っている。

最後に今回の取材を通して、感じたことを述べて、レポートの結びとする。インタージェムは、これからも、3つの「佐藤イズム」をしっかりと継承し、顧客に愛され、喜ばれるジュエリーを提案できるサロンであり続けることができる、と今回の取材で確信した。

2018年5月 8日 (火)

プロローグ〜サードウェーブ ジュエリーショップ黎明の予感

日本の高度成長期からバブル崩壊までの間、国内のジュエリー産業は、ずっと右肩上がりの成長を続けてきた。バブルが崩壊してから数年は、急速に業績を伸ばしてきた余力で業界全体の売り上げの鈍化はそれほどでもなかった。宝飾業界をひっぱってきた業界大手の社長、幹部たちは、そんななかで、まだまだこれから挽回の余地はあると髙を括っていて、業界のセミナーなどでも楽観的な持論を展開していた。

しかし、それは非常に甘い現状分析であったし、それにともなった未来予測は当然現実から乖離していった。V字回復させるための初動行動の遅さが災いして、急速に落ち込んでいく売り上げに、楽観論を披露していた会社のみならず、ほとんどの大手企業は業績が上がらないまま数年が経過。その後、売り上げ不振の企業は、倒産、会社の極端な縮小、あるいは、他社に吸収合併されることになった。

どうしてそうなったのか。戦後日本のジュエリー業界の歴史を知ると理由がわかるはずだ。
そこで、私が過去にまとめた戦後の日本ジュエリー産業の歴史を次に紹介する。

###
1945年(昭和20年)
 8月15日、終戦を迎える。(終戦の玉音放送)占領化、真珠の売れ行きが急増し、ダイヤモンドも品薄となり、繁華街に宝石を扱う店が増える。その時期は、どんな商売でもヤミ取引が横行していたので、その手の宝石商売も多かったと聞いている。

1949年(昭和24年)
 単一為替レートが決定し、1ドル360円となる。メレーダイヤモンドが急騰。

1961年(昭和36年)
 7月、ダイヤモンド以外の宝石類が自由化となり、8月ダイヤモンドが自由化。つまり、宝石の自由化元年。宝石業者が、ぼちぼち海外に買い付けにいくようになる。

1965年(昭和40年)
 デビアス日本に進出。日本におけるダイヤモンドジュエリーブームがこの年を契機に始まる。

1966年(昭和41年)
 10月29日、大蔵省(日銀)の接収ダイヤモンド放出があり、徹夜の行列をなす。前年のデビアスの進出とともに、日本のダイヤモンド業界の転機となる。

1971年(昭和46年)
 ドルショック(ニクソンショック)。1ドル308円に。(円高ドル安)当然、この年、海外に買い付けにいく宝石業者が増える。

1974年(昭和49年)
 金細工品の輸入自由化。いよいよ、日本におけるジュエリー産業が上昇気流に乗り始める。

1982年(昭和57年)
 ダイヤモンド婚約リング取得率70%となる。デビアスのキャンペーンが浸透したと言える。

1986年(昭和61年)
 喜平ネックレスブームが巻き起こり、百貨店などで安売り合戦が始まる。

1989年(平成1年)
 物品税が廃止になり、消費税が導入。物品税が廃止にともない、業者証明が必要なくなる。総合商社のジュエリー業界参入、あるいは、異業種からの参入が相次ぐ。当時のバブル景気に便乗し、ジュエリー業界は活気づく。しかし、一方で、同業他社との過当競争始まる。

1990年(平成2年)
 空前のティファニーブームとなり、クリスマスには、百貨店のティファニー売り場には、長蛇の列ができる。

1992年(平成4年)
 バブル崩壊が始まる。ジュエリー業界全体の売り上げに翳りが見え始める。消費の冷え込みがすすみ、贅沢品、嗜好品の代表格であるジュエリーに対する需要は、落ち込む。

1993年(平成5年)
 第一回ジャパン・ジュエリー・フェアー開催。本格的ジュエリー業界展の幕開け。

1998年(平成10年)
 いよいよ、海外有名ブランドジュエリーが、日本に本格参入。日本のジュエリー業界同士の勝ち残りから、海外ブランドジュエリーとの競争になる。

2003年(平成15年)
 海外のジュエリーブランドは、百貨店のインショップから、独自に店舗を展開することに拍車がかかる。特に、銀座は、出店、改装ラッシュとなる。

###

2003年までの日本のジュエリー業界の主な動向に関するまとめは以上である。
その後、日本におけるジュエリーの売り上げの約30%程度は、海外ブランドショップが占めるほどになる。最大3兆円あった日本のジュエリー産業規模は、今やその3分の1以下にまで落ち込んでしまっている。

日本のジュエリー産業が低迷するなか、デビアス(ダイヤモンド プロモーション サービス)、ワールド ゴールド カウンシル、プラチナギルド インターナショナルの三大販促機関が事実上日本から撤退していったことは業界にとって大きな痛手となった。なぜなら、日本のジュエリー業界の販促活動は、ほとんどそれらの機関に依存していたからである。

さらに、デフレによる銀行の貸し剝がし、総合商社のジュエリー業界からの一方的な撤退は、委託体質だったジュエリー業界にとって、ダブルパンチのようにダメージとなった。

さて、ジュエリー業界の戦後第1の波は、デビアスの日本進出によるダイヤモンドブーム、第2の波は、物品税廃止による異業種参入により業界規模拡大とすれば、バブル崩壊後長く低迷を続けてきたジュエリー業界において、独自の販売戦略、個性的な商品展開をして業績をのばしていったジュエリー専門店は、新たな潮流を生み出しているといってよいのではないか。それは第3の波、サードウェーブとも言える。

このブログでは、主要都市圏、及び地方都市において個性的、独創的な販売スタイルで売り上げを伸ばしているサードウェーブ的ジュエリーショップ、サロンを探訪し、そのレポートを紹介する。

宝石、ジュエリー購入、リフォーム、オーダージュエリー発注などを考えたとき、どこのジュエリーショップに行けば良いのか、また、どこの誰に相談すればよいのか、悩むところだ。このブログがそういった場合の選択肢の一助となればジュエリーレポーターとして幸いである。

最近のトラックバック

最近のコメント

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31